2022.01.24
全障研愛知支部の佐藤さんが、その時の様子と感想を書いてくださいましたので転記致します。
私も、事業所の職員さんにもっと参加して頂けるとよかったなあ。と思った強度行動障害のある方たちを支える実践を学ばせていただいた、心が揺さぶられる学習会でした。
そして、名古屋の特別支援教育を変えていく一石を投じるこの裁判へのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
佐藤さと子さんより
今日の午後、天白養護学校体罰裁判のオンライン学習会が行われて、70名位の参加が集まった。
1988年にあった南養護学校の裁判から、34年たつが、名古屋市の障害児学校の教育は、より厳しくなっている。体罰を見て見ぬふりをする。校長に言っても、教育委員会に言ってもだめで、体罰の映像をテレビで放映したら、それを写して通報した人に報復をする。ひどすぎる。
以前から、マラソンを強要したり、まるで軍隊みたいだと言われていた。南養護学校の裁判以降、目に見える体罰はしなくなったが、影で行われるようになったと言われていた。
実際に卒業生が作業所に入所すると、自由になって仕事をしなくなる方にはたくさん出会ってきた。頭かく仕草をすると、かがむ姿勢を取るのは、大阪の作業所の頃から言われていた。
34年たって、より悪くなっている現実を知って、何をするべきか、考える。
佐藤比呂ニ先生の学習会、良かった。
出会いはタカラモノの本のなかに、丁寧に実践記録として書かれているので、是非読んで下さい。
発達のしくみの学習会で、1歳半と2歳から3歳の発達の力の違いで、大小比較ができるようになる2歳と自他の区別ができるようになる3歳の認識の力が分かり始める時期では、
困難さが違ってくる。
また、認識の力が高くて、言語の発達の力に差があって、自分の思いを伝える手段が充実に獲得できていないと、かなり、しんどさを感じる。
手先に不器用さを合わせもっていると、達成感が感じにくくて、よりしんどい。
そんな時に、上から押さえつけられたら、とってもしんどい‼️
何でこんなに、教育は、ひどくなったのか。
戦後の民主的な教育が進められていた頃に、物を言う子どもを作らないために、教育が先に攻撃を受けた。
先生たちの集団が攻撃を受けていった。
自分が受けてきた生活綴り方教育は、広がらず、共通一次試験を受かるための暗記教育が中心になりました。
30年前は、軽度の知的障害児の教育は、作業の時間ばかりが中学生から増えて、自閉症の障害を持つ方は、かなりしんどい学校生活を送っていました。愛知は、学ランを着て登校しないといげなかった。根性を鍛えるためと、朝はマラソンをしていた。
今はどうなっているのか。
みんなのねがいの読者会で、スェーデンでは、名前を言ってから、肩書きを言うが、日本は、肩書きを言ってから名前を言う。
個人に対する思いが弱いのではないかと、スェーデンの参加者が言っていたと聞いて、そうだよなあと、思ってしまった。
憲法に銘記せれた権利をきちんと主張しながら、よりよい人間関係をお互いに作り合っていく努力をしていくために、障害者分野に一職員として何ができるのか、
目の前の利用者に真摯に向き合い、対等平等の関係を作る努力を続けていくこと。
精神障害の利用者から、チョコレートを渡されそうになり、思わず、物をもらうことは絶対にしません。でも、頑張っているねと、報告を受けることは、相談員として、一番うれしいことだよと、ありのままに伝えました。
物やお金ではなく、人と人が対等に関係づくりができること。それを手伝う仕事なんだと思う。でも、そのために何が専門性として必要なのかを考えながら、みんなで学ぶことが必要な仕事だと思う。